【感想・考察】村上春樹『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』

村上春樹

 

村上春樹の短編小説集『カンガルー日和』(講談社文庫)から

『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』を考察します。

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『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』のあらすじ

とても気持ちの良いある晴れた朝に、原宿の裏通りを歩いていた「僕」にとって100パーセントの女の子を見かける。距離が近づき、すれ違う。何歩か歩いてから振り返った時、彼女の姿は人混みの中に消えていた。でも「僕」は話しかけるべきであったのだ。その科白は「昔々」で始まり、「悲しい話しだと思いませんか」で終わる。

『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』の特徴

短編小説集『カンガルー日和』に収録されています。
ページ数は8ページ。とても短いです。
この作品は、作者が電車内の広告モデルの女性にとてつもなく惹かれたことから生まれました。そして、この作品を原型として長編小説『1Q84』が出来上がりました

感想・考察(ネタバレ)

この小説のテーマは「可能性」です。

可能性が僕の心のドアを叩く。 (『カンガルー日和』p.21)

 

①彼女とすれ違うまで

100パーセントの女の子を見た途端に、可能性に心躍らされます。あらゆる可能性を考え、妄想します。30分間彼女と話すこと、映画を見ること、バーに行ってそのまま彼女と寝ること。
しかし現実は見知らぬ2人のままです。そして彼はいかに話しかけるかを考えます。「ボーイ・ミーツ・ガール」のはじまりを模索するのです。

 

こうして彼女とすれ違う時がきます。
ここの文章、まるで映画のスローモーション・シーンを見ているようです。あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、「緊張感」がとても伝わる。彼にとってはとてつもなく長い時間のように思えます。

しかし、現実を知ります。彼女は何事もなく過ぎ去ってしまうのです。
そして、彼は思います。あの時は「こうすべきだったんだ」と。勝手に可能性に揺られ、そして現実を知り、後悔します。気づいた時にはもう何も無い。村上春樹がよく描く激しい「孤独」と「喪失」です。

可能性の中にいる時は心地よいものです。特に恋愛においては。しかしずっとその中にいてはわれわれはどこにも行けません。そしていつか必ず現実を見ることになります。そして彼のように、気づいた時にはもうどうにもならない、戻すことのできない状況に来ます。このようにして後悔し、それから空想にふけるのです。

 

②すれ違った後

そして、後に残された彼は「こう切り出してみるべきだったんだ」という妄想をするのです。

 もちろん今では、その時彼女に向かってどんな風に話しかけるべきであったのか、僕にはちゃんとわかっている。(p.23)

空想では完璧な「ボーイ・ミーツ・ガール」を思いつきます。お互いがお互いを100パーセントと思っていることは素晴らしいことです。2人はもう孤独では無い。そして、もう一度巡り合った時に結婚することを誓います。ところが、2人は悪性のインフルエンザで昔の記憶を無くしてしまいます。そして4月のある晴れた朝に、原宿の裏通りで再会するのです。しかし記憶がない今、言葉もなくすれ違ってしまう。

何という完璧な妄想なのでしょう。100パーセントの異性が目の前にいるのなら、これほどまでに妄想は膨らむのでしょうか。「可能性」と「妄想」。非現実。儚くて悲しいけど、同時になんて素晴らしいんだ、とも思います。

 

「100パーセントの恋愛小説」として世に出回ったベストセラーの『ノルウェイの森』。ですが、私は当作品こそ「100パーセントの恋愛小説」だと思うのです

 

 

 

おわりに

この作品、なんと映画化もしております。しかも二回も。それだけ短い分量の中に魅力が詰まっていると言うことです。村上春樹は長編小説で有名です。しかし、私はこう言ったミニマルな作品も魅力的だと感じます。

 

この作品が原作である大ベストセラー『1Q84』もぜひ読んでみてください。

大人の「ボーイ・ミーツ・ガール」です。