【学生おすすめ】『大学で何を学ぶか』加藤諦三 感想 | あらゆる偏見から抜け出すために

書評

 

加藤諦三『大学で何を学ぶか』(ベスト新書)の書評をします。感想だと思ってください!

スポンサーリンク

大学って何を学ぶところなんだろう?

私は大学に入りたての頃に、この本に出会いました。

大学って何をすべきなんだろう?

後悔したくないな…。何か生産的なことをしなくては!

という感覚にとらわれていた時でした。

不安でしたが、大学では様々なことに全力で取り組んで充実させようという活力もあったのです。そのような不安やパワーを良い方向へ導いてくれるのがこの本です。

これからどうするか、という「指針」を得ました。今の日本社会に息苦しさを持っていたり、不満を抱えていたりする若者には必ず心に響くかと思います。これを読んでおけば、他のあらゆる自己啓発書は不要になります。

こんな人におすすめ

  • 受験が終わった高校生
  • 全ての大学生
  • 大学で何をしようか迷っている人

似たような題名や内容の本がありますが、こちらが10年以上たった今でも人気です。大学で何をしたらいいの?という方、こっそり読んでおきましょ

『大学で何を学ぶか』の内容

大学とはどういう場所か。大学に入ったら何をすべきなのか。ノートの取り方や読書の方法など、大学の日常生活のこと。進路や考え方や生き方の指針、人生とは何かまで様々な内容に触れています。自分自身を生き抜くためにはどうすれば良いのか、あなたに希望が生まれます。

『大学で何を学ぶか』の感想

①我々は今まで洗脳されていた

大学は偏見から抜け出すところである。(p.62)

この言葉に私ははっとしました。

これまで、大学に入るまでの過程は、ある意味で偏見をうえつけられてきた過程でもあった。小学校から中学校、高校、大学へと、塾や予備校へと進む中で、様々な偏見をつちかってきたにちがいない。(p.62)

つまり、 大学生の年齢になったら、それまで「当たり前」だと思っていたことを一度疑うべきだ、と言っているのです。

たしかに、私は大学に入ってから一番最初の授業で耳にタコができるほど聞かされたことがありました。それは、

  • 小中高というのは、「与えられた問いに対して正解を答えていく
  • しかし、大学というのは、「自ら問いを作り、それを自ら解いていくのだ

小中高は「受動的な学び」なのに対して、大学では「能動的な学び」「能動性」が求められるということです。これが、作者の「大学とは偏見から抜け出す場所」という主張と重なりました。

小中高で我々は教師や学校、日本社会に、常にある「価値観」を与えられていたのです。勉強だけでなく、常識やルールと慣習とか。そしてその「普通」や「常識」、「価値観」などは、実はだいぶ偏った特定の価値観、特殊な常識だということです。

しかしそれを子供の時から、右も左も分からない時からそうやって植え付けられてきたから、それが「一般的」「常識的」だと信じてきました。それが正解だからです。

②就職に関しての偏見

例として就職を挙げます。
できるだけ今まで植え付けられてきた常識に囚われずに考え直してみました。

  • 長時間働くことは素晴らしい
  • 残業は当たり前
  • 上司の言うことは絶対
  • 社会は理不尽だから

我々の世代は、これらを「当たり前」と今まで思ってきたし、思わされてきました。それが普通だから、耐えれなきゃダメだ、と。もはや就職や就活に良いイメージを持っている若者は、ほとんど0だと思います(違う方は本当にすごいです)。

働くということは辛いことで、でも辛いけど頑張るから素晴らしいんだ。体に鞭打ったりと、少しの犠牲はあるものなんだ。という価値観を子供の時から当たり前だと思っておりました。それが「ふつう」だからです。

 ③偏見から抜け出すと

でも、それって、世界から見ても小さい島国である日本の労働の「ふつう」なのではないか。わざわざ辛い思いやマイナスのイメージを持っているところに飛び込むことっておかしいんじゃないか。そう思いました。

 「仕事は辛いものだから」とそうすんなりと受け入れるのではなく、違和感を感じたり自分合わないと思うのなら疑うべきなのです。

本当に上司には絶対従うべきなのか?社会が理不尽なのが当たり前なのか?そういうことを常に合理的に考えていけば案外自分が思ってる方が正しいこともあります。思考停止して、社会を受け入れるのではなく、個人がそれぞれ自分の頭で考えたものこそが尊いのです。大学で能動性が求められると言うことは、「偏見から抜け出す」=「自分で考える訓練をする」ということです。

④なぜ能動性は大学から?

しかし、そもそもなぜ、大学になってからそのような「自らで考える思考」をさせるのでしょうか。

 

幼少期からできるだけ「自らで考える訓練」を教えていけば良いはずなのに。

その答えはきっと「日本社会がうまく機能しないから」です。全ての人間が幼少期から常識を疑ってしまえば、この高度資本主義社会の日本がうまく機能しなくなってしまうのです。

私は同じく大学の講義で「学校の意義」というのを学びました。講義によると、小学校・中学校の義務教育の目的の一つとして、「優秀な人材としての労働力」を生産することがあります。高度経済成長の中、いわゆるサラリーマンが大多数を占める社会であった日本。年功序列・終身雇用のシステムの中で、会社に人生を預け、忠誠する優秀な労働力が必要でした。そうすれば、自ずと国の経済力は上昇していったのです。

会社を組織として動かす為に、従順にする為に、その常識を植え付ける必要があったのです。たとえそれが苦痛であったとしても、大多数がそれを「当たり前」のものだと受け入れてくれれば良い。そう言った忠誠的な人々を大量に作るために、学校という場で価値観を植え付けているのです。

小中高とこうした価値観の中で過ごし、大学に入ります。そして気付いたら、大学3年を終えた頃には、新卒一括採用で就職活動が始まり、いわゆる「レール」の上に乗っているのです。言ってしまえば、大学時代ではもう遅いのです偏見から抜け出すなんて手遅れなのです。気づいた時には就活は目の前。自分で食えるようにしなくてはいけない。優秀で従順な労働力となった人々は、そのシステムの中に入ることしか考えられないのです。 

自らの力で考えよう

「大学とは偏見をなくしていく場である」という主張から、私の思うことをつらつらと述べました。こちらを読むのは、高校生か大学生の方だと思います。「これからの大学生活をどう過ごそうか?」と思っている方は是非、おすすめです。

 

自分が思うことと何か違うなと違和感を持っていたり、自分には少し合わないなと思うことだったり、そういうものを「まあいいか」とするのではなく、いちいち疑って、その疑問を大事にしたいです。

 

 

↓良ければ押してください!

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 


書評
スポンサーリンク
ジェイをフォローする
文学部のジェイ