あなたは飲酒差別をしている?!時代遅れのお酒の飲み方【アルハラ対策】

アルハラ

現代であってもお酒が弱い人・飲めない人にとって生き辛い風潮は無くなりません。

 

「お酒飲めないなんてダサいな」

「つまらない奴だな」

このように言われたことありませんか? 

 

お酒を飲もうとしない時飲み会に行かない時、この言葉はよく使われます。男だというだけで、尚更。

そして、世間ではこのような考えをさほどおかしいと思わず、むしろこの価値観が当たり前と感じている人が多いように感じます。

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お酒が弱いことを笑うのは時代遅れ

しかし、断言しますが、「お酒が飲めない奴はダサい」なんて考え方、めちゃくちゃ古いです。

本当に恥ずかしいくらいに。

 

つまりこれからは、

「お酒が飲めない奴なんてダサい、と言っている奴がダサい。」と言われるようになります。

 

下戸が気にくわない理由

 そもそも、なぜお酒が弱いことで我々は批判されるのでしょうか。「お酒が飲めない奴はつまらない」と言う人の主張は、以下の理由だと思います。

  • ノリが悪い
  • 空気が読めない
  • 本音で語り合えない(飲みニケーションを拒否している)

なぜ飲み会に誘っても断る?飲み会にきたのにお酒を飲まない?

こっちは楽しもうとしてやってあげてるのに、なぜそれに応じない?

テンションの差が生まれ、ノリが悪い、空気が読めないと思ってしまう。お酒は深く語り合えるチャンスでありコミュニケーションツール。仲良くなるには必要なのに、それを断るなんて協調性がない

 

意外とこういうことをする人々は、本当に自分が正しいと思って言っていることが多いです。いじめてやろうとか、からかってやろうとかいう気持ちはあまりなく。まあそういう悪党もたくさんいますが。

 (私も飲み会を断っていたら、ある時先輩に本気で説教されたことあります。人格を疑われました。そういう誘いを断るのは本当にあり得ないと。)

 

飲めない人はマイノリティ

しかしそんなシラフで冷静な私が、つくづく思うことがあります。

 

 「そもそもなぜ、我々はお酒が飲める人達に合わせなければいけないのか?

 

飲みたくないのに、無理をしてでもあちら側に合わせるのが正しいのか。

なぜ飲める人の目線でしか語られないのか。

お酒が好きな人が主体で、お酒が飲めない人はそれに付き合わなければいけないのか。

 

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お酒が飲める人々という「マジョリティだけが心地の良い世界」になり、マイノリティを始めから存在しないものとしているのです。

 

実はそれって、「女性は、主体である男性を全力で支えなければいけない」といった一昔前の価値観となんら変わりがないのではないだろうか。

 

今の社会は、「お酒が弱い人」の意見が無視されすぎているような気がします。

 

「男女差別」はありえない

少し昔の話です。

日本では「男らしさ・女らしさ」という概念が当たり前のように社会に根付いていました。良くも悪くも、です。

  • 「男性」ならば外に働きに出て家族を支える。
  • 「女性」ならば家を守り、家事をしながら働いてくれる男性を支えるべきだ。

このような考えが当たり前であり、そこに疑問などありませんでした。そんなシステムの中で、「女は一人では生きていけないんだ」「男が養ってあげているんだ」と言う価値観(男性中心社会)が根付いていました。つまり、

  • 男性=主体(主人公)
  • 女性=客体(男性を支える脇役)

とされていたとも言えます。夫婦関係を「主人」「家内」と呼びますね、メインとサブの関係です。そんな男性中心社会の中では、男性目線でしか物事を語られませんでした。なぜならそれが当たり前だからです。

 

近年では、そのような考えは「女性差別」として是正されてきました。今の時代では男性主導社会は不合理とされ、性別関係なく平等であるべきというジェンダーフリーが掲げられています。

 

「 飲酒差別」をしていないか?

ところが、「お酒」の世界ではこのようにはいきません。むしろ、旧時代的な価値観が未だにまかり通っております。

 

「酒が飲めないなんてつまらない」という価値観お酒が飲める人が主体という価値観です。

 

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お酒が飲めることが当たり前。居酒屋は全員参加が当たり前。居酒屋ではとりあえず人数分生ビールで乾杯。飲めない人もそれくらいは合わせるべき。これくらい合わせるのはマナー。場が盛り上がってきたらこっそりノンアルを頼めばいい。それまでは我慢しろ。 こう言った常識は全てお酒が飲める人目線に基づいて出来上がっています。

 

しかし、私は声を大にして言いたい。

お酒が飲めない人にだって権利はある!と。

これは「飲酒差別」ではないか。

 

男女差別が是正されたように「飲酒差別」も見逃してはいけません。苦しんでいる人がいるのだから。

 

常識の奴隷は差別を生む

具体例を挙げます。タバコです。

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喫煙者A     「タバコ吸いに行かない?◯◯ってタバコ吸うっけ?」

非喫煙者B 「ううん、吸わないよ。」

喫煙者A     「それじゃあちょっと喫煙所に行ってくるね。」

 

この時「吸わなくても喫煙所ぐらいついてこいよ。」「ノリが悪いな。」「コミュニケーションもあるんだから。」とはならない。タバコの世界は吸う人と吸わない人が平等に扱われているのです。JTの「吸う人も吸わない人も心地よい世の中へ」です。

 

飲む人も飲まない人も心地いい世の中へ

 タバコのように、お酒の世界もお互いを尊重する価値観になるべきです。

 

飲めない人の存在を最初から当たり前のように認めて、その上で飲めないのは仕方ないね、という考え方になぜならないのだろうか。飲み会のマナーって、無理して相手に忖度することではありませんよね。それが正しいなら、「マジョリティに合わせることが礼儀作法である」と言っています。

 

 「常識」を盾にして、そこから外れた人間はマナーがなってない、人格的に問題があると排除する。その常識の正当性や合理性を考慮せずに、ただ「当たり前」だから受け入れる。

 

我々は目の前にあることを当たり前で正しいと思ってしまいがちです。

しかしそれは常識の奴隷だ。差別まで正当化されてしまうのです。

 

 下戸の人権を尊重しよう

日本人のお酒の耐性ですが、ざっと、

  • お酒が強い人 55%
  • お酒が弱い人 45%

のようです。

この数字を見てもわかるように日本でお酒は全員が等しく飲めるものではない。と言うか、今の日本の風潮を息苦しく思っている人は少なくないでしょう

 

それならば、お酒の飲みたい人と飲まない人の両者が心地の良い空間を作るべきなのではないか。そこに優劣などないし、ダサさやかっこよさもない。飲みたくなければ飲まなきゃいい。そこに変な空気は存在しない。ただそれだけです。

 

始めからノンアルを頼んでもいいし、男がカクテルを頼んでもいい。この古い価値観が1日でも早くなくなることを願っております。

 

 


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