体育が嫌いで地獄なのは、全て教師のせい

学校教育

 

体育は地獄だ。

運動が苦手な人にとって、体育という時間は本当に残酷である。

授業中、何度も時計を確認して「早く終わらないかな」なんて考えるものだ。 それくらい本当に生きている心地がしない。できないと周りに責められるし、恥ずかしいし、自分が惨めに思えてくる。体育をやるたびに、学校での居心地の良さも格段に悪くなる。 

 

 こんな学生時代を過ごした全ての人たちが一貫して思うことがある。それは、

「これって私が悪いの?」

ということだ。 

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体育の問題点の本質

全ての問題の原因は、

運動できる人だけが楽しめる授業のシステム」にある。

 

このシステムは以下によって支えられる。

  1. 試合至上主義
  2. 体育教師は運動ができる
  3. 「できる組」の意見を尊重

①試合至上主義

体育は大人数で授業をする。そして集団で授業するにあたって、最も効率的なものが

「自由に試合をさせる」ことなのである。

 

教師はその日のスポーツに必要な用具を用意して、タイムを計りながら仕切る。それだけすれば授業はとりあえず機能するのだ。

 

 もうわかる通り、教師は何も教えていない。そのスポーツができる人・できない人が漏れ無くこれに参加する。初めから全てが決まっており、成長することもない。これで授業になっていること自体が疑問視するべき一番の点である。

 

②体育教師は運動ができる

ほとんどの体育教師は、運動が得意・好きな人である。 

つまり、できない人の立場があまり分からない。

その人々の気持ちにリアリティを持てない。

 

そして、「できない組」が分からない基礎的なことや、ルールなどに触れることはないのだ。

 

③「できる組」の意見を尊重

そして、体育教師は運動が得意な生徒と仲が良いことが多い。もちろん彼らの意見に耳を傾けやすく、喜ぶような授業をする。

 

当然、「できない組」は意見すら出せずにいる。

そして試合では邪魔者扱いをされ、どんどん居心地が悪くなる。そんな人たちが、教師と仲良くするはずがない。したいとも思わないだろう。

 

運動が「できる組」と「できない組」の格差

こうして、最低限のやり方も分からない「できない組」は取り残され、「できる組」にとっては最大限に楽しめる授業になる。

 

 すると、両者の格差は開いたまま

  • 「できる組」は、できない組の「できなさ」を馬鹿にしたり、苛立ったりし
  • 「できない組」は、スポーツが嫌いになり、学校の居心地は最悪になっていく

そもそもできないのに、その「できなさ」を見せびらかすことしかできないのだ。

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地獄の体育はシステムが悪い

サッカーやバスケなど球技のチームスポーツは、一番地獄だ。上手い下手がハッキリ出る。

 ポジションなど振り分けることは一切せず、何をすれば良いのか素人は本当に分からない。一番できる人は攻めるだけ。なんとなくディフェンスの役目をされせられている残り組。得点を入れられてしまったら、「なんで守らないんだ」とできない組にイラつく。

 

周りの雰囲気は最悪になる。みんなが気を遣い始める。こちらは分からないながらに頑張っているのに、ベストは尽くしたいけどうまくいかない。

こういう場面を教師は改善しようとしないのだ。

 

そりゃ嫌いになるだろう。

あなたは1ミリも悪くない

このように体育によって、自分に自信がなくなったり、学校での評価を気にしたり、ましてやいじめの標的にされたり、そんな時間を毎週何時間も繰り返すのはどう考えてもおかしい。

こんな授業なら我慢してやることでもないし、もはや体育などやるべきではない

 自分をなくしてしまう前にやめたほうがいい。できることなら全て休むべきだ。私は高校時代、体育に合わせて遅刻や欠席をしてきた。

 

しかし、現実的には良くて「適度に休む」ことしかできない。

それじゃあ精神的負担は変わらない。また体育の日が来ることを憂鬱に思ってしまう。

 しかし、これだけは覚えておいてほしい。

 

あなたは何も悪くない。

 

学校の腐ったシステムと体育教師に100%全て責任がある。得意な人も不得意な人も楽しめる授業は必ずあるはずだ。運動ができなくたって、ただその一つの分野が苦手なだけだ。

自分を惨めに思う必要もないし、自分に自信をなくす必要もない。それに逃げたとしても、それが正しい。

 

今の体育に絶望していると思うけど、これだけは忘れないでほしい。

周りじゃなくてあなたが100%正しいよ。

 

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