【感想・考察】村上春樹 『国境の南、太陽の西』 | 様々な謎を解き明かしました

村上春樹

今回は、村上春樹の『国境の南、太陽の西』(講談社文庫)の書評を行います。

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『国境の南、太陽の西』のあらすじ

小学生時代、一人っ子だった「ハジメ」は「島本さん」と親密になるが、彼女の転校により2人は疎遠になってしまう。高校時代、僕は「イズミ」という子と付き合いながらも、「イズミの従妹」と肉体関係を持つことで、イズミを徹底的に損なったまま別れてしまう。30才になり、「有紀子」という女性と結婚し、子どもができる。ビジネス的にも成功をし、何もかも満ち足りたい生活になった頃、美しい大人の女性となった島本さんに再会する。

 こんなひとにおすすめ

  • 社会人(アラサー)
  • バブル絶頂期の雰囲気を感じたい方
  • 孤独を感じる方

 華やかな時代に経済的に成功した主人公は、精神的には飢えていて、いつも孤独です。主人公の心情は共感者多数だと思います!

 『国境の南、太陽の西』の特徴

一言で言えば、不倫小説です。

主人公の心はいつも孤独です。学生時代も妻子を持った今も。全てに満ち足りたかに思う生活でも、その退屈な日常から抜け出せるような刺激を求めてしまいます。その空白を、「島本さん」という心の奥底でずっと恋心を抱いていた幼馴染みで埋めていきます。

主人公がどんどん汚い世界に入っていき、悪に魅了され苦しみます。分かっているのにもう引き戻せないのです。

長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の執筆・推敲していた際に、取り除かれた部分がこの『国境の南、太陽の西』です。章ごと分離させて異なる作品を作ったのです。

 『国境の南、太陽の西』の考察

①この作品のテーマ

この作品のテーマは「孤独」「喪失」です。

村上春樹作品の永遠のテーマであります。この作品はそれらが存分に出ているように感じます。そして、これらの心境は以下の文章で表されます。主人公が妻に自分の心をさらけ出すシーンです。

結局のところ僕はどこにもたどり着かなかったんだと思う。僕はどこまで行っても僕でしかなかった。僕が抱えていた欠落は、どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなかった。どれだけまわりの風景が変化しても、人々の語りかける声の響きがどれだか変化しても、僕は1人の不完全な人間にしか過ぎなかった。僕の中にはどこまでも同じ欠落があって、その欠落は僕に激しい飢えと渇きをもたらしたんだ。(p.291-292)

「一人っ子」であることから孤独は始まり、その後ずっと欠落を抱えたまま人生を生きていたのです。自分ではない新しい何かになりたくて必死にもがくけれど、結局自分は何者にもなれません。ずっと孤独であった主人公はとてつもない飢えと渇きを感じ、それを補うかのように島本さんにのめり込んでいくのです。個人的には冒頭の学生時代の独白のような部分が非常に印象的です。「孤独」が存分に、いたるところに散りばめられています。

②島本さんという幻想

島本さんは主人公にナット・キング・コールのLPをプレゼントし、それを別荘で聴きに行きます。その後、2人は激しくお互いを求め合います。しかし、朝になって、島本さんがいないことに気がつきます。島本さんに関する全てが(机の中の封筒や別荘でプレゼントされたレコードも)何もかも無くなってしまいました。

島本さんは消えたのです。そして主人公は急速に現実感を失っていきます。「島本さんが存在した」という現実が遠のいていきます。

 僕がどのように自分に言い聞かせようとしても、その不在感はかつてそこに明確に存在したはずの存在感を押しつぶし、貪欲に呑み込んでいった。(p.280)

 存在感を失った主人公は現実の脆さを痛感します。本当の事実なんてあるのか、と。結局、島本さんは、主人公の少年時代からの性愛が作り出した幻想であったということです。

「君を見ていると、ときどき遠い星を見ているような気がすることがある」と僕は言った。「それはとても明るく見える。でもその光は何万年か前に送り出された光なんだ。それはもう今では存在しない天体の光かもしれないんだ。でもそれはあるときには、どんなものよりリアルに見える」(p.231)

主人公は自分の幻想により、もう存在しない彼女を作り出していたのです。彼女は幻想であるがゆえに、どんなものよりもリアルにそこに存在します。

そして別荘で妻との決別を決心した後、彼女と交わり、その幻想は収まります。そして後には誰も残っていません。激しい飢えと渇きが押し寄せてきます。
彼は再び、道端で島本さん「らしき」人を見かけます。周りが一瞬にして凍りつき思いが込み上げるのです。結局は人違いでした。まだ彼女を忘れられず、幻想を作り出してしまいそうになったのです。

③ 最後のシーン

そして彼は家で、妻の有紀子に「僕は君のことを愛しているよ」と言います。

しかし、彼はまだ妻の有紀子や子供たちをこれから先ずっと守っていくだけの力があるのか分かりません。

 僕はその暗闇の中で、海に降る雨のことを思った。雨は音もなく海面を叩き、それは魚たちにさえ知られることはなかった。

 誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。(

p.299)

 雨は音もなく、誰にも気づかれることなく海に降り注ぎます。これは主人公の孤独を表していると言えます。そしてその事に気づかない魚たちは、妻や子供たちのことです。そうやって自分の心境を雨になぞらえている時に、誰かが主人公の背中に手を置きます。いつも雨の降る夜にだけ訪れる人。島本さんです。主人公が頭の中で雨を降らせ、そして島本さんという幻想をまた作り出してしまったのです。

これは『ノルウェイの森』のラストに似ています。主人公が様々な女性と親密になった後、緑という女性に電話で「あなた今どこにいるの?」と言われます。

 満ち足りたかと思ったら、また乾きを覚え、そして全てを失います。彼に救いはありませんでした。

④ 「国境の南、太陽の西」というタイトル

このタイトルについてです。

「国境の南、太陽の西」と彼女は言った。(p.243)

 島本さんは「国境の南」へ、主人公のハジメは「太陽の西」へそれぞれ行ってしまいます。

「国境の南」とは、「とても不確かなものだけどとても素敵そうなところ」です。

中学生の時2人で聞いていたナット・キング・コールの曲です。「国境の南」のレコードは実在しないので「架空」です。島本さんは「国境の南」を「何かとても綺麗で、大きくて、柔らかいもの」「そこは多分の多い国なの」と言っています。島本さんが思う、2人の理想郷のようなものでしょう。しかしその後、朝になると彼女は1人で消えてしまいます。

「太陽の西」「何もないかもしれないけど、何かを求めて向かうところ」です。似ているようで、そこは「国境の南」とは少し違うところです。

ヒステリア・シベリアナという「架空」の病気の事を島本さんが語ります。たった1人でシベリアの荒野にいる農夫が、突然自分の中の何かがぷつんと死に、何も考えずに西に向けて歩き出し、地面に倒れ死んでしまう病気なのです。

主人公は全てが完成された人生の中にいたのに、ある日彼の中の何かが死んだのです。そして、島本さんという幻想を求め、太陽の西へ進んでいきます。彼はそういった確証のない中で島本さんを追い続け、取り憑かれたように歩き続け、終いには何もかも失ってしまうのです。

おわりに

作品全体から漂う喪失感や静寂がたまらなく好きで何度も読み返してしまいます。10年後、主人公と同年齢あたりになった時にまた読み返して見たいです。

分量は299ページ。私はあまりにハマりすぎて数時間で読み終えてしまいました。ぜひこの記事とともに楽しんでください。

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