【解説・考察】村上春樹『図書館奇譚』 | メタファーたっぷりの大人の童話

村上春樹

 

村上春樹短編小説集『カンガルー日和』(講談社文庫)から『図書館奇譚』の紹介・考察をします。

スポンサーリンク

『図書館奇譚』のあらすじ 

僕は図書館の地下室に行くと不思議な老人に囚われ牢屋に行く。羊男と出会い、僕は一ヶ月後、脳味噌を吸われてしまうという事実を聞く。しかし、突然現れた美少女に助けられながら僕と羊男で図書館から脱出を試みる。

 

 

こんな人におすすめ

  • 難しい本が読めない
  • 村上春樹の短編を読んでみたい
  • 子供から大人まで

子供は読み物として、大人は深い考察も含めて、誰でも楽しめます。言ってしまえば「大人のための童話」であると言えます。

『図書館奇譚』の特徴

「奇譚(きたん)」とは「不思議な物語」という意味です。ページ数は51ページ。

『羊をめぐる冒険』や『ダンス・ダンス・ダンス』でおなじみの「羊男」が出て来ます。少しホラーの風味を感じるファンタジー短編です。

 

村上春樹独特のユーモア溢れる言葉遣いがここでも健在で、読んでいて何度も圧倒されました。

にっこりと笑った。空がふたつに割れてしまいそうなくらい素敵な笑顔だった。(p.223)

ただ読むだけでも本当に面白かったのですが、この話の全体像を掴んだ時に感じたことがあったので、考察をお読みいただけたらと思います。

 『図書館奇譚』の考察

この作品のテーマは「成長」です。

意思がなく精神が未熟だった「僕」が、地下を脱出することで大人に近づいていくことを表現しています。以下は順を追った詳しい考察です。

(それぞれのキャラクターの意味を(①〜⑤)で詳細に書いております。 )

 

 ⑴地下に入る

 ①僕……未熟な子ども(意志がなく、精神が弱い。何かを断るのが苦手でとても従順な性格)

 

そんな彼が図書館に行くと、とても理不尽な老人に会います。そして僕は、無理やり地下の奥深くの牢屋に閉じ込めます。そこでは足枷までつけられているのに、美味しい食事が出てきます。

 ②老人……地下での絶対的な価値観/不合理な存在

 ③地下……閉じ込められる比喩(子供の頃の閉じた社会/学校/永遠に続くように思える少年時代)

 

牢屋には羊男がいます。そこで僕は、一ヶ月後に「頭を切られ脳味噌をちゅうちゅう吸われてしまう」ことを知ります。でも彼はそれも悪くないと言います。残りの人生をぼんやりと夢みながら暮らすようになれる、そう願う人たちさえもいる、と。 

 ④羊男……理不尽を全て受け入れあきらめの態度を取っている存在。ずっと地下にいる(=ずっと子どもの)まま。強権的な老人に恐れ従います。ちなみに『羊をめぐる冒険』でも書かれているように羊は群れをなす、長いものに巻かれる習性があります。

 

⑵美少女と出会う

しかし、そんな暗い未来の中で、僕は美しい少女に出会います。そして少女と会った後、僕は地下から出る決意をします。

とにかくここから逃げ出すことだ。図書館の地下にこんな迷路があるなんて絶対に間違っているし、誰かが誰かの脳味噌を吸うなんて許されるべきではないのだ。(p.219)

 しかし、僕はそれでもすぐに泣いてしまいます。決心はしたもののまだまだ弱い存在なのです。そして、ここでも美少女のことを思い出して元気を出します。少年は美少女にいつも励まされるのです。

<あなたはなんともないの。だから大丈夫よ。きっとここから抜け出せるわ> <本当よ。あなたは強くなってきたし、これからもどんどん強くなっていくの。誰にも負けないくらい強くなれるわ>(p.235)

  ⑤美少女…希望勇気をもたらす存在。羊男が「少女は存在しない」といっていたのは、何もかも諦めている彼が「もう希望なんて存在しない」ということを言っているのです。

でも結局はおいらはここでずっと柳の枝でぶたれるんだし、君はもう少ししたら脳味噌を吸われるんじゃないか……(p.230)

しかし、羊男も例の美少女に出会い、脱出の決意をします。希望と勇気を持ったのです。「心配しなくていいよ」「きっとうまくいくからさ」と僕を励ますようにさえなります。

⑶脱出する

脱出は長い長い道のりです。辿り着けるのか、こっちで合っているのか、全てが不安でたまりません。

それでも僕は不安だった。迷路の問題点はとことん進んでみないことにはその選択の正否がわからないという点にある。そしてとことん進んでそれが間違っていたと分かった時にはもうすでに手遅れなのだ。(p.243)

このような人生を左右するような決定を少年時代・学生時代を通して我々は幾度となくおこなってきました。まるで真っ暗で複雑な道を歩くようにとても不安であり、自分が間違っていたらと思うと怖くてたまりませんでした。当時を思い出します。

そして僕は、脱出するために邪魔な(=大人になるために邪魔な)母親からもらった靴を脱ぎ捨てます母親が買ってくれた自分を守ってくれるものを捨て、母親からの自立・ひとり立ちをするのです。(脱いだ後に、母親を思って取りに戻ろうとしたり未練が残りますが、それも克服します。)

 

何度も迷ったり引き返したりして、前に進んでいきます。しかし、ドアを開けるとそこに老人と黒い犬が待っていました。結局、むくどり=少女が助けてくれて、羊男と一緒に逃げ出します。永遠だと思えた、閉じ込められた世界からようやく抜け出したのです。(冒頭に「永久運動が存在しない」と書かれているのは、この永遠に思えた青年時代は終わり大人になるということを意味します)。

⑷脱出後

そして、一緒に地下を過ごし、脱出をしてきた羊男は突然いなくなってしまいます。この失踪は、「唐突な別れは大人になるまでのこの年代に沢山経験すること」として捉えました。

家に帰ると全てが平和で元どおりでした。が、しかし母親が少し悲しそうな顔をしています。これは成長して大人になった僕、独り立ちに近づいた我が子を見て、自分の元から離れていく悲しさを表現しています。
そして最後には母親が死んでしまいます。こうして僕は一人ぼっち=「一人前の大人」になったのです。

 

羊男は、図書館の地下は「大昔は井戸だったんだよ」と言っています。井戸といえば村上作品にたびたび登場するもの。

深くて暗い井戸の底に一人でじっと座っているような時期がないと、人生に深みと広がりが出てこないような気がします。(『村上さんのところ』)

 井戸というのは別世界の入り口という意味であったり、人生における闇の時期という意味であったりします。この作品に当てはめると、人生に深みと広がりを出す(=大人になる)ための井戸であり、図書館の地下であったのです。深くて暗い、闇の奥深くを経験した僕は、そんな風にして大人になっていったのです。 

おわりに

様々な解釈があるかと思いますが、一つの考えとしてお読みください。

『カンガルー日和』には18話の短編があり、どれも素晴らしいです。そして何と言っても読みやすい。おすすめは『1Q84』の元になった作品、『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて』です。そちらも是非。

絵本版もあります!

 

 

コメント