米津玄師に学ぶ「個性」の出し方〜オリジナリティなんて言葉はいらない〜

書評

「オリジナリティー」「個性」といった言葉は、現代でとても重要視されています。

 

そしてその反面、それらを聞くと、時にひどく悩んでしまいます。

私には何もない。

自分は凡人だ。

個性がある人が羨ましい。

しかし、そもそも個性ってどのようにして生まれるのでしょうか?無理に考えて頑張って、ようやく見出すことなのでしょうか。元々のセンスのことを言うのでしょうか。何か一つを徹底的に突き詰めないといけないのでしょうか。

 

 自己紹介や就活の面接、そしてSNSなど……

個性を問われている時代だからこそ、このテーマを深く考える必要があります。

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 米津玄師に学ぶ「個性」の出し方

いまや国民的アーティストととしてその地位を確立している米津玄師。これだけ世の中に普遍的に支持されているアーティストはなかなか見ません。

 そして印象的なのは、強烈な「個性」。米津玄師の作るサウンドや歌詞は、聞いただけで彼のものだと理解できます。

 

アーティストとしてこれだけ飛び抜けた「個性」を獲得した彼は、どのようにしてそのオリジナルを獲得したのでしょうか?

 米津玄師の音楽にオリジナルはない

彼はTwitterでこう述べます。

 

また、 インタビューでも以下のように言っております。

俺はオリジナリティー信仰みたいなものが嫌いなんですよ。誰も見たことも聞いたこともないものしか許さない、と言ってしまう感じ。 (https://www.google.co.jp/amp/s/realsound.jp/2017/10/post-122911_2.html/amp)

そのズレみたいなものを感じて、嫌だなと思って、自分がやってるのは、そういう意味で言うとオリジナリティなんてない、色んなところからの寄せ集めなんです。(https://www.tfm.co.jp/lock/staff/index.php?itemid=10476&catid=36)

こう言われると元も子もありません。「オリジナリティーは存在しない」なら、個性なんて出せないじゃないか。

 

しかし、それは少し違います。彼は、現代の使われ方においての「オリジナリティー」という言葉に疑問を抱いているということです。

「オリジナリティー」とは、誰も見たり聞いたりした事がない、全く新しいものである。そうでないものは「パクリ」であり、絶対に許されないことである。そう言った意味でのオリジナリティーをひどく嫌っています。既存の意味の通りに「オリジナリティー」という言葉を使うと、彼の作品は全て「パクリ」として批判の対象になってしまうと言っているのです。

 米津玄師の考える本当のオリジナルとは

音楽って、フォーマットじゃないですか。“型”のようなもので成立している部分があるのは事実で、そのなかでいかに自由に泳ぐかじゃないかと。

(中略)美しいものって、分析して、勉強していった結果、身につくものだと思うんですよね。それをよく理解しないで、“ありのままの自分”とか“素の自分”って気持ちいい言葉でごまかして、自分がどこから生まれてきたのかを考えない。「つまんねぇな」って思います。「“素”って何だよ?」って。https://www.google.co.jp/amp/s/realsound.jp/2017/10/post-122911_2.html/amp)

全ての音楽は自分の内側から湧き出てくるものではないのです。

既に存在している音楽をまず「型」として勉強し、吸収します。その型を使って自己表現をしているのです。つまり、全ての出発点は模倣し、「型」を学ぶことです。そうして初めて、「オリジナル」というものが出せるのです。

 

つまり、既存のものを使うことに関して「パクリだ」と批判するのはお門違いなのです。それを追求してしまうとごく原始的なサウンドしか生まれません。クリエイティブのかけらもないのです。「サンプリング」という技法が音楽にはあるように、そう言ったものを認めなければいけません。

 

彼は全く新しいものをゼロから生み出す、という考え方を嫌います。そして、「自分の感情に素直になる」や「ありのままにやる」といったいわゆる「天才タイプ」のような考え方を批判します。

パッとひらめいた素晴らしいインスピレーションでも、その元を辿れば、知らずして既存のものに影響を受けています。完全にありのままの素の自分が創り上げたものなど、存在しないのです。

 

学問の領域でいえば、「先行研究」がそれにあたるでしょう。何もないところから自分のオリジナルの研究というものは思いつきません。まず、その学問領域で既に研究・発表されてきたものを学びます。そしてそれらを踏まえた上で、先行研究を参考にしながら、独自の研究(オリジナル)を行うのです。つまり、まず「型」を学んでから、それを基にオリジナルを出すのです。

 

完全に自由な自己表現は存在しない

もっといえば、「自己表現」にだって完全に自由でオリジナルなものはありません。

 

何もないところから生まれることはないのです。彼らアーティストは「自己表現」をするために、あらゆる手段の中から「音楽」というものを使っています。絵画やダンス、小説、詩、スポーツなど、他にも様々なフォーマットがありますが、その中から音楽を選んでいるわけです。自己表現はこういった「型」の上に成り立ち、これを踏まえてやっとオリジナルを出すことができます。

 

彼らは音楽という「型」に縛られる不自由さを認めながら、表現をする自由を楽しんでいるのです。「音楽」という「型」の中で、いかに自由に泳ぐか、です。自分を表現するためにはまず、何かしらの「型」にハマらなければいけないのです。

「組み合わせ」がオリジナリティーに

オリジナリティーは、「型」を学ぶことから始まる。

米津玄師の作品は、(そして、生み出される音楽の全てが)その既存の「型」の「寄せ集め」でできているのです。様々な「型」を勉強し、模倣する。そしてそれを寄せ集め、組み合わせることで自分の作品となるのです。

 

唯一無二で奇抜な「個性」を持つことでおなじみのアーティスト、水曜日のカンパネラ・コムアイも「個性」について、こう主張をしている。

私が言えるのは、個性って、「誰よりもこれだけはできるっていうものを見つけろ」とかいうけど、そんなことなかなか無い。世界で何十億人も人がいる中で、ナンバーワンになることは難しい。

だから、「組み合わせがうまい人」が強みを見せられると思います。組み合わせただけでずいぶんな個性になる事はいっぱいあります。

「組み合わせただけでずいぶんな個性になる」

 彼女は既存の複数のモノを組み合わせることによって、それを自らの「個性」として表現しているのです。こう考えると、米津玄師のいうオリジナリティーの生み出し方と共通する事がわかります。

結論:「個性」とは誰かのマネをすることから始まる

これらを踏まえると、自分には「個性」がないという人も少し道が開けたかもしません。我々は、個性と聞くと、「自分の内に秘めている素質」のようなものと思ってしまいがちです。

しかし、米津玄師から言わせるとそれは間違いです。オリジナリティー(=個性)を出すには、まず型を学ぶこと。つまり、誰かの真似をすることから始まるのです。自分の憧れる人や理想の人のやっていることを、まず真似してみる。そして、「憧れる人のマネ」を複数寄せ集めることで、それが自分の個性となるのです。

確かに、「個性的である」と言われる芸能人は、おしなべて影響を受けた人の数が膨大であります。影響を受けるとは、「その人の型を取り入れる」とも言えるため、「いかに多くの人を真似たか」が個性につながるといえます。その真似の組み合わせで自分というものが出来上がっているのです。

0から1を生み出すことはありえない

つまり、完全なゼロから自分の内にある感情に従っただけで、オリジナルを生み出すことはできない。常に何かに影響されながら、それを型として学び、それらを「寄せ集める」という行為により個性が生まれるのです。

0から1でなく、1を無限に寄せ集めて足していく米津玄師の強烈な「個性」の秘訣はこの考え方にあったのです。

 

そんな彼が生み出したアルバム『BOOTLEG』。アルバムの意味は「海賊版」。オリジナリティ信仰への反骨精神が垣間見えるようなタイトルです。

 是非ご覧ください。

 

表現者から学ぶ「個性」の出し方シリーズ↓

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